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(e)merging. 第6回 (03/21/99)

結婚後の名字を考える意味

テキスト:

Lisa Miya-Jervis, He's Taking Her Name, from HUES: Hear Us Emerging Sisters January-February, 1999.

Jennifer Allyn & David Allyn, Identity Politics, from "To Be Real: Telling the Truth and Changing the Face of Feminism" Rebecca Walker, ed. (1995)

注意: 『(e)merging.』第6号は前後2編に分かれています。 前編をまだ読んでいない方は、そちらから先にお読みください

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キャンパスの女性センターが主催していたイベントで出会ったJennifer WilchaとDavid Smithのカップルも、Miya-Jervisの2人と同じくフェミニズムの理想を共有する関係でした。 そして、5年の交際を経て2人が婚約に至った時の最大の悩みの種が、やはり名字をどうするかという点だったのです。 JenniferはSmithというありふれた名前に自分の名字を変えるつもりはありませんでしたし、DavidにWilchaの名字を受け取ってもらうのも、男性と女性の立場をひっくり返すだけで真に平等とは言えないように感じたのです。

しかし、Lisaと同じようにJenniferも結婚前の名前をそのまま残すという案にはあまり乗り気ではありませんでした。 周囲を見回した所、結婚後も以前からの姓を名乗り続ける女性は今では珍しくはないですが、そうした女性のあまりに多くが子どもには父親の姓を継がせているため、結局「男性の姓だけが継承される」という問題は解決されていないのです。 例えば、ヒラリー・クリントンは「ロダム」という旧姓をミドルネームとして残す事に成功したかも知れないけれど、彼女の娘の名前には「ロダム」は継がれていません。 次の世代まで考えると、JenniferとDavidがお互いの名字を維持したまま結婚するのでは解決にはならないのです。

また、Davidも子どもの名前を親のどちらか一方だけと同じにしたくはないと思っていました。 というのも、David自身、幼い頃に親が離婚した家庭の出身なのですが、彼を引き取った母親が再婚した時、母が実父に無断で幼いDavidのラストネームを義父のそれに変えてしまったため、実の両親の間でいさかいが起こった事を覚えていたからです。 今思えば、あの時実の両親はどちらも心から自分の幸せを考えてくれていた事は理解できるのだけれど、自分の名前がいさかいの元になってしまった事に非常に傷つき、混乱した一時期があった事をDavidは思い出すのです。 そういう経験から、彼は子どもの両親が違った名前を持つ事にはあまり乗り気ではありませんでした。

そこで次に考えたのが、LisaとChristopherのカップルと同様にハイフンで2人の名前を繋げる事。 Wilcha-SmithかSmith-Wilchaにすれば、確かに将来生まれる子どもも含めて家族全員が同じ名字を名乗る事ができます。 しかし、JenniferとDavidはこれにも満足しませんでした。 というのも、仮に彼らの子どもの名字がSmith-Wilchaになったとして、その子が大人になってSwift-Weinbergという人と結婚する事になったらどうするのでしょうか? まさか、Smith-Wilcha-Swift-Weinbergとはしないでしょう。 結局、この案は単に自分たちの優柔不断さを次の世代に押し付けているような物だと2人は感じました。 

他に考えられる案の1つは、SmithとWilchaを組み合わせた新しい名前を作ることでした。 しかし、 「Wilth」「Smilcha」など様々に組み合わせても、どうもしっくりくる名前が出来ません。 そこで次には、2人が最初に出会った街の名前やそれぞれの母親の旧姓など、思いつく限り次々に考えたり、アナグラムのようにして自分たちの名前の綴りの順序を変えたりしてみたのですが、あまりに選択肢が増えたためかかえって選びにくくなってしまいました。 その頃の2人は、お互いが納得できる名前が決まらずに、2人の関係が宙に浮かんでしまったかのように感じられたといいます。

2人でこうして悩んだ名字の問題を解決するすばらしいアイディアが閃いたのは、そんな時でした。 Jenniferのフルネームは、Jennifer Lynn Wilcha。 DavidのそれはDavid Alan Smith。 いままでラストネームを組み合わせようとして、ユダヤ的で特徴のある「Wilcha」といかにも平凡な「Smith」が繋がらずに苦労していたけれど、お互いのミドルネームを組み合わせて「Allyn」とすれば、文字として見ても音として聞いても感じがいいし、キリスト教・ユダヤ教のどちらにも通じる語感がある。 そればかりか、それぞれの親が2人に付けたミドルネームは、家族の一員として自動的に受け取ったラストネーム以上に「自分らしさ」に直結しているような気もする。 周囲の反応も良く、結局2人はJennifer AllynとDavid Allynになる事で決着が付きました。

さて、こうして2つの第3次世代のカップルの「結婚後の名字」についての決断の経緯を時間を追って書いてきましたが、以上の事から何が言えるでしょうか? 答えはたくさんあるかも知れませんが、私が思いつく事を3つほどここで挙げておきます。

まず第1に、今回紹介した第3次フェミニストのカップルは、結婚制度そのものや家族制度そのものの根元からの否定や転覆といった課題には、最初から関心を示していません。 既存の結婚制度や家族制度が女性や同性愛者に対する抑圧装置になっているという面はあると思いますが、Lisa、Christopher、Jennifer、Davidの4人はその事によって「フェミニズムの目的のためには、結婚なんてしない方がいいのでは?」とは、一瞬たりとも考えていません。 彼らにとって問題なのは、「結婚制度をどうするべきか」などという問いではなくて、「自分たちにとって結婚って何だろう」という、いわば素朴な問題なのです。

第2に指摘しておきたい事は、上のように結婚制度や家族制度そのものを直接的に批判の対象としなかったとしても、それは既存の結婚制度や家族制度を無条件に肯定している訳ではない事です。 伝統にそのまま従うか破壊するかという極端な議論ではなく、伝統的な制度を元にして、自分たちに合うようにどうやって伝統を作り替えようかと、非常に主観的なレベルで試行錯誤をしているんですね。 これは、第3次フェミニズムの特徴の1つである「自分らしさ」や「身近な体験・主観」のナイーブなまでの肯定の現われでしょう。

そして最後に注意を引きたい事として、これが一番重要ではないかと思うのですが、今回登場した4人の誰一人として「全てのカップルが見習うべき究極の解決法」を模索してはいない事があります。 人それぞれ事情も考え方も違うのだから、カップルの数だけ結論があっていいはずです。 今回紹介した4人の第3次フェミニストたちには、自分たちにとってうまく行った解決策だからといって、それを他の人に押し付けようとする姿勢は全く感じられません。 彼らは、そういった「究極の解決策」が存在しない事を、相対主義の理論からではなく、感覚的に肌で分かっています。

逆にいうと、彼らにとって「結婚後の名字をどうするか?」という問題においては、結論そのものではなく、そこに至るまでのプロセスが重要なのです。 ここではたまたま両方のカップルとも「2人で同じ名字を名乗る」という結論に達しましたが、それだけが正しい正解ではないでしょう。 現に、最初のカップルと次のカップルでは微妙に違った結論となっていますが、どちらのケースでもお互いが最善だったと納得できる結果になっています。 思えば単純な事ですが、そういう決断こそ、真に平等で公平であるといえるのではないでしょうか。

とはいえ、書類1つで自由に名前を変更できるアメリカにくらべ、現在の日本では自分の名前を変更する事が非常に難しいという問題があります。 これでは、仮に夫婦別姓が認められるように民法が改正されたとしても、個々のカップルが自分たちにふさわしい独創的な解決策を選ぶ事はできません。 夫婦別姓の選択が法的に認められるべきである事はもちろんですが、本当に結婚制度を両性に平等で公平にするには、より幅広い「自分に自分で名前を付ける権利」を確立する必要があるのかも知れません。

【第6回 後編おわり】

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