(e)merging.
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Wave Feminist Page

(e)merging. 第5回特別編 (03/03/99)

フェミニズムの伝統を次の世代に継承するには

テキスト:

Phyllis Chesler, Letters to a Young Feminist (1998)

Phyllis Chesler, a lecture on passing on feminist legacies at Southern Oregon University; recordings may be available (1999)

第0回から第4回までの『(e)merging.』では第3次フェミニズムの主張を取り上げてきましたが、これらの新しい世代に対する第2次フェミニズム世代のこれまでの反応は、あまり好意的な物ではありませんでした。 Rebecca Walkerの編集による第3次フェミニズムのアンソロジー、「To Be Real」には第2次フェミニズムの代表的な活動家であるGloria SteinemとAngela Davisがそれぞれリベラルフェミニズム、ラディカルフェミニズムの立場からコメントを載せていますが、若い世代にもフェミニズムに興味をもつ人がいる事実に素直に喜ぶ一方、彼女たちの「経験不足」や「知識不足」に苛立っている第2次フェミニズムの世代の心情がよく現われています。

第2次フェミニズムの世代に有りがちな傾向として、「若い女性のフェミニズム」を表面的には歓迎する一方、それらは第2次フェミニズムの焼き直しに過ぎないとか第2次ほど革新的ではないとか、あるいは若いフェミニストは第2次フェミニズムを理解していないという批評がよく聞かれます。 そして、そうした第2次世代の態度こそが、Walkerのいう「常に変化しながらも常に存在している、フェミニスト的理想像の押し付け」として若い女性に受け取られ、ますます世代間対話が難しくなるという悪循環が起きているのかも知れません。

そうした中にあって、はじめて若い世代が第2次フェミニズムに対して抱く感覚を(誤解を含めて)正面から見据えて、上からの押し付けではない形で彼女たちとの対話をはじめようとしている第2次フェミニストこそが、今回紹介するPhyllis Cheslerです。 彼女は、数多い第2次フェミニストの中でも前記のSteinem、Davisと並ぶくらいの中心人物で、専門の心理学と精神医学の分野においてフェミニストセラピーの創始と発展に大きな影響を与え、それまで主体としての女性に注意が払われる事がなかったレイプや性的虐待、ポルノグラフィ、売春といった問題や、それまで言葉すらなかったセクシュアルハラスメントや配偶者暴力の問題を訴えた功績の持ち主です。

彼女の表舞台での活動の始めとなったのは、72年に出版した「Women and Madness」という古典的名著。 社会的な差別や偏見や暴力によって自己実現を妨げられていたり精神的な苦痛に悩む女性を「異常」「ヒステリー」と決め付けるような既存の精神医学を真正面から批判し、医療やカウンセリングといった場面における抑圧的な権力構造を指摘しました。 また、76年の「Women, Money and Power」では職場における差別やセクシュアルハラスメントについて掘り下げた調査をし、社会に大きな影響を与えました。 その後も、それまで男性中心主義的な発達心理学では研究されてこなかった「出産」「育児」といった重要な人間の活動も研究する一方で、フェミニストセラピーの普及にもつとめた人です。

 その彼女が昨年、「若いフェミニストへの手紙」という本を出版したと知った私は早速取り寄せて読んではその真摯な態度とフェミニズムの伝統を何としても次の世代に伝えようという彼女の熱意に非常に感動したのですが、この度彼女の講演を直に聞く機会があったので、今回は『(e)merging.』特別編としてその内容をお届けします。 講演の内容は本の内容とだいたい重なるのですが、フェミニストの伝統を次の世代にどう伝えるか、という話が中心でした。 若い人にも分かりやすく、第2次の世代の人も多いに勇気づけられる内容だったと思います。

今の女性は第2次フェミニズムを知らない、とよく言われます。 若い女性はメディアの悪しきステレオタイプだけを元に第2次フェミニズムについての印象を作り上げているのではないか、という意味でしょう。 しかし、そもそも、第2次フェミニズムとは何だったのでしょうか? そこからCheslerは入っていきます。 自分たちは何をして、どういう成果を残したのか。 そしてどういう失敗をしたのか。 何を次の世代に伝えたいのか、どうやって伝えるのか。 これらの問いに第2次の世代が正面から向き合わないのならば、次の世代にそれが伝わる訳がないと彼女は考えます。

第2次フェミニズムとは何だったのでしょうか。 それは真面目な政治運動であったと同時に、一種の熱狂的なパーティだったと彼女は言います。 一部の大都市だけでなく各地のキャンパスや地方都市でも、男女同権を求めて、中絶合法化を求めて、そして性暴力反対を叫んで女性たちは行進し、団体を作り、演説をしました。 爆発的に広まったフェミニズムの熱狂はメディアも席巻し、小規模な雑誌やニューズレターが続々と発行されました。 しかし、当時フェミニストたちは、パーティはいつか終わる物である事に気付いていなかった。 やがて巻き起こったバックラッシュに、彼女たちはあまりに無防備でした。

しかし、フェミニズムはバックラッシュの嵐の中で消えてなくなった訳ではありません。 メディアの表舞台から去ったとはいえ、フェミニズムはごく短い期間の間に想像もつかない程の変化を社会に及ぼしました。 弁護士や医者といった職種に女性が進出したのも、セクシュアルハラスメントや配偶者暴力やデートレイプという概念が出来たのも、今日産まれた女の子が将来的に彼女自身の可能性を開花させるように促されるのも、全てフェミニズムがあっての事だったのです。 今の若い女性がこの変化の激しさを理解せず、また感謝もしてしないように見えるのは、逆に言えばその頃生まれた世代にとっては気付く暇もないくらいフェミニズムによる意識改革が急激だったという証拠でしょう。

彼女自身が関わったカウンセリングの分野ではどういう変化が起きたのか。 レイプや性的虐待の被害を訴える女性を信じる事によって、フェミニストセラピーは個々の断片だけではなく社会全体の問題を把握できるようになりました。 また、レイプの被害者の経験する苦悩が、戦場での過酷な経験を持つ元兵士の苦しみと酷似している事が明らかになり、レイプによるPTSDのプロセスが解明されました。 かつてのように、被害を訴える女性たちが一方的に「妄想狂だ」「本当は期待していたんだろう」と片付けられる事が全く何の反対もなく通用する事はなくなりました。

配偶者による暴力の問題でも、被害者が何度も加害者を許し、再度の暴行を受けてしまう「虐待被害者シンドローム」のプロセスもはじめて明らかになりました。 「本人がよりを戻すくらいなら、大した事ではなかったんだろう」という言い方は間違いで、暴力的な夫やボーイフレンドの元に戻ってしまう女性たちは狂っている訳でも、自虐趣味な訳でもないとはっきりと分かったのです。 そして、肉体的な暴力だけでなく精神的な支配と虐待にも多くの注意が払われるようになり、被害者を一方的に責めるような論理に一定の批判が加えられるようになりました。

そしてそれらの発見と同時に、全国に性暴力救援センターや女性のためのシェルターが多数建てられました。 それらは多くの女性のボランティアによって運営され、フェミニズムの理念を元に個々の女性の主体性の確立と自己実現が支援されました。 今そのような団体が存在するのはほとんど全て第2次フェミニズムの草の根活動の成果であって、放っておいたら勝手に生まれて来た訳でも、遠い昔からずっと存在していた訳でもありません。

しかし、フェミニズムの歴史的な意義が未だに終了していないのは言うまでもないでしょう。 では、そういうフェミニズムの伝統はどうやって継承されているのでしょうか? 残念ながら、自分たちの世代のフェミニストたちは自分たちが常に現役でいるつもりでいて、次の世代に伝える努力を十分に行なって来なかったとCheslerは反省します。 若い女性の間でフェミニズムへの興味が薄れている一因にバックラッシュがあるのは事実ですが、それと同時にフェミニストたちは「シスターフッド」の幻想を過信していたのではないのかと彼女は問います。

全ての女性が互いに女性であるというだけの理由で自然に連帯するというのは、理想であっても現実ではありません。 実際には、よく話し合っても必ず分かり合えるとは言えないくらいだから、本当に連帯するつもりがあるなら常にコミュニケーションが必要です。 そして、時には相手を尊重しながらも反対意見を述べるという準備もしなければならないでしょう。 何もしないでも若い女性に自分たちの思いが伝わるはずだと考えるのも、やはり甘い幻想だったとCheslerは言います。

第2次フェミニズムの世代からは、「若い女性はフェミニズムなんて古いと言っている」「自由なのが当り前と思いこんでいる」「自分たちがどれだけ苦労したか分かっていない」という声がよく聞こえる。 しかし、若い女性たちも彼女たちなりの不自由さを感じ、日々苦労しています。 例えば、近年の女性のダイエット指向の低年齢化という問題を見ても、そして年々過激化する産婦人科へのテロ行為を見ても、今の若い女性が何の犠牲も払わずに自由と権利だけを満喫しているというのは間違っているでしょう。 そうした現実への異議を表わす「フェミニズム」という言葉の意味が彼女たちには通じていないとすると、それは本当にバックラッシュのせいだけでしょうか? 70年代のあの熱狂を知る世代のフェミニストは、今こそ積極的に次の世代の男女にフェミニズムの伝統を継承する努力を払うべきだ、とCheslerは締めくくります。

Cheslerの「Letters to a Young Feminist」がいいのは、第3次の世代に通じる言葉とスタイルで書かれている事です。 理論やポリシーではなく個人的な体験と主観で綴るという彼女のスタイルは、Rebecca Walkerら第3次フェミニズムにも通じる物でしょう。 その上で、若い世代に誤解を与えている部分はきちんと説明し、今思うと失敗だったような事も当時の状況を丁寧に説明する姿勢に、まず好感を抱かざるにはいられないでしょう。 それぞれの「手紙」は短くポイントを絞った内容であり、彼女から読者への手紙であるとともに過去から未来への手紙であると言えるでしょう。

なお、この本の最後の章には、「男性であり、そして私の息子である若いフェミニストへの手紙」というタイトルが付けられています。 そして、これはフェミニズムに興味を持つ全ての男性に対して、時に一部のフェミニストが男性に敵対的な事を言う事をも認めた上で寛容と理解を求める珠玉の一文です。 そして、本の最後にも当たるその文章の最後の文では「未来から絵葉書を送るのを忘れないで欲しい」とさらなる対話を求めるのです。

こういう本がいままで無かったというのも驚きですが、第2次フェミニズムによって社会を大きく変革したCheslerの歴史に対する2つ目の貢献は、世代間対話の推進によるフェミニズムの継承という事になりそうです。 これがより多くの若い人に読まれ、またこのような本がより他の多くのフェミニストによっても書かれ、そこから真の相互理解へと繋がるのが、次世代におけるフェミニズムの再興には必要だと私は思うのです。

Letters to a Young Feminist


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