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A Third 
Wave Feminist Page

(e)merging. 第4回 (07/01/98)

フェミニスト的『偶像』からの脱皮

テキスト:

Macska, On Her Own: The Third Wave Feminist Analysis of Ani DiFranco, unpublished (1998)

Ani DiFranco, from "Solo: Women Singer-Songwriters In Their Own Words" Marc Woodworth, ed. (1998)

15歳で家を飛び出して20歳で自分のレコード会社を設立したシンガー・ソングライター、Ani DiFranco。 のちにニューヨークタイムズが「完全に自立したミュージシャンとしては全米で一番成功している」と評した彼女が最初に注目を集めたのは、東海岸のキャンパスにおいてでした。 大手のレコード会社の影響力を利用できないアウトサイダーの彼女の音楽を商売抜きで流そうとするのは、学生が運営する各地の大学のラジオ局だけだった事もありますが、それ以前に彼女のフェミニスト的なメッセージを受け入れる聴衆が大学以外にあまりなかった事もその原因でしょう。

彼女が取り上げたフェミニスト的な関心は多岐に渡っていますが、例を挙げると「妊娠中絶権」「性差別」「性暴力」「セックス産業」「配偶者による暴力」そして「バイセクシュアリティ」などがあります。 これらの問題に対して堂々と怒りをぶつける音楽で彼女はフェミニズムに共鳴する一部の学生から熱狂的な支持を集めるのですが、それは同時に彼女が音楽業界のメインストリームから敬遠されるだけでなく、キャンパスのフェミニスト達によって偶像化される危険と隣り合せでした。

I'm no heroine
least not last time I checked
I'm too easy to roll over
I'm too easy to wreck
I just write about what I should have done
I sing what I wish I could say
...
I don't fool myself like I fooled you
I don't have the power
We just don't run this place
     ("I'm No Heroine" 1992)

Some chick says
thank you for saying all the things I never do
I say you know the thanks I get
is to take all the shit for you
It's nice that you listen
It'd be nicer if you joined in
As long as you play their game girl
You're never going to win
     ("Face Up and Sing" 1994)

自分は英雄なんかじゃない、他の多くの女性と同じように抑圧的な現実と格闘する一人の女性でしかないんだ、という「I'm No Heroine」という曲を書いたのは彼女が自分のレコード会社を設立してからほんの2年後。 当時一般の商業ラジオ局で彼女の音楽を流した所は皆無だったに関わらず、彼女が東海岸の大学を公演でまわるうちにすでに彼女に自分が感じている怒りやフラストレーションを投影して過大に英雄視する若い女性がたくさん現われていたのです。 そしてそれは、「Face Up and Sing」で明らかなように「私の言いたい事を言ってくれてありがとう」と多くの女性から感謝されながらも、それだけじゃ何も変わらないと危機感を募らせる事になります。

そもそも、ギターだけを頼りに冷たい家庭に育ったDiFrancoがフェミニストとして「目覚めた」きっかけは、19歳の時に彼女自身が受けた妊娠堕胎の経験でした。

I passed their hand held signs
I went through their picket lines
They gathered when they saw me coming
They shouted when they saw me cross
I said, "why don't you go home, leave me alone
I'm just another woman lost"
...
My smile unconvincing
on that sterile battlefield that sees only casualties
never heroes
My heart hit absolute zero
     ("Lost Woman Song" 1990)

キリスト教原理主義者達が掲げる「中絶すると地獄に墜ちる」「お前らは殺人者だ」といったプラカードの中をくぐって、罵声を浴びながら妊娠中絶を行うクリニックに入る彼女。 待合室で順番を待ちながら、隣の席で退屈そうに雑誌を流し読みているボーイフレンドがどんどんうっとうしく感じられる孤独な時間。 妊娠中絶なんてなくて済むならない方がいいに決まっているけど、究極の選択を迫られた女性をさらに追いつめるようなシステムに傷つけられる彼女。 73年以来アメリカでも妊娠中絶は合法化されましたが、それでも爆弾テロを含む抗議活動は延々と続いていて、彼女が中絶を受けたクリニックも脅迫と圧力によって閉鎖されてしまったと彼女は語ります。

元々はジャーナリストとして活動していたGloria Steinemがフェミニズムに参加したきっかけも、当時違法だった妊娠中絶をアンダーグラウンドのクリニックで受けた経験(そして、同じように中絶を受けたために殺人罪で逮捕されたある女性の裁判について記事を書いた所、「こんな問題は重要ではない」とボツにされた事)でした。 せっかく合法化されても地方では遠距離の旅行でもしなければ中絶を受けられない現状があり、今だにアメリカのフェミニズムの重要な課題の1つですが、同世代の他のフェミニストのように大学で女性学を取ったりしていないDiFrancoはこのような現実の不条理との直面からフェミニズムに接触したようです。

こうして明快にフェミニズム的なメッセージを帯びた彼女の音楽ですが、当時のファンの大多数は先鋭的なフェミニストであり、多くはレズビアンでした。 メッセージの強烈さと同時に、一般のラジオ局や音楽雑誌は彼女の事をほとんど黙殺したため、DiFrancoの音楽について記事を載せた雑誌はフェミニスト系かレズビアン・ゲイ系かしかなかったのです。

I'm not a pretty girl
That is not what I do
I ain't no damsel in distress
and I don't need to be rescued
...
I am not an angry girl
But it seems like I've got everyone fooled
Every time I say something they find hard to hear
They choke it up to my anger and never to their own fear
...
I'm not a pretty girl
I don't really want to be a pretty girl
I want to be more than just a pretty girl
     ("Not A Pretty Girl" 1995)

DiFrancoがフェミニストのスポークスパーソンとして最高潮にあったのが、Naomi Wolfの「The Beauty Myth」(1991)に呼応するかのように「可愛い女の子/か弱い女の子」になる事を拒否し、「自分の事は自分でやってやる」と毅然と立ち向かったこの曲を書いた頃です。 この曲が出た後、「Ms.」誌はDiFrancoを表紙に載せて特集を組み、また別の号で「次世代のフェミニスト人名録」を特集した時にもDiFrancoを次世代のフェミニスト・リーダーの一人として紹介しました。 が、皮肉な事にこの次に出たアルバム「Dilate」(1996)で彼女の音楽は変貌するのです。

I used to be a superhero
No one could touch me, not even myself
You are like a phone booth that I somehow stumbled into
Now look at me, I am just like everybody else
     ("Superhero" 1996)

When I say you sucked my brain out
The english translation is
I'm in love with you and it is no fun
     ("Dilate" 1996)

純粋に音楽だけを聞くと以前よりギターも歌もどんどん上達している事が明らかですが、とにかく力強く確信に満ちていた以前の曲と違い、「Dilate」に含まれる曲では並々ならぬ苦悩が歌われています。 そして、歌詞を見れば分かる通りそれはある男性との不安定な恋愛が原因だったのです。

フェミニストやレズビアンらによって勝手に偶像化されて、時には窮屈に感じながらも、それを見事に演じてきた彼女。 それが、ここに来て、事もあろうに男性との恋愛、しかもどこまで自分を愛しているか分からない相手に、どうしようもなく惚れ込んでしまった自分。 彼女はその苦悩を包み隠さず正直に歌っているのですが、このCDが発売された時には「彼女は男に惚れて堕落してしまったのか?」と古くからのDiFrancoのファンの間で論争が巻き起こりました。

と同時に、もう1つ皮肉な事態が起こります。 彼女が政治と恋愛、ファンが期待する偶像と自分の本来の姿の間で苦しみながら書いた「Untouchable Face」という曲が、あろうことに多くの男性から支持されて一般の音楽雑誌からも注目される身になってしまったのです。 とは言っても、この新しいファン層が彼女の苦悩に共感した訳ではもちろんありません。 単に、サビの部分で「fuck you」という言葉が登場するというだけの理由でウケてしまったのです。

To tell you the truth I prefer the worst of you
Too bad you had to have a better half
She's not really my type but I think you two are forever
And I hate to say it but you're perfect together
So fuck you and your untouchable face
And fuck you for existing in the first place
     ("Untouchable Face" 1996)

普通の英語の読解力で歌詞を読めば分かる通り、ここでの「fuck you」は「あなたなんか大嫌い」ではなく、「こんなにあなたが好きなのに、あなたには既に完璧なパートナーがいる」という意味です。 大手のレコード会社と契約しているアーティストは政治的・商業的な理由から「fuck you」という言葉を気軽には使わせてはもらえないのですが、自分でレコード会社を運営しているDiFrancoには自分が思った事をそのまま録音して売る事ができます。 ところが、この曲に飛びついた新しいファンの多くは彼女のフェミニスト・シンガーとしての過去とその役割から来る苦悩を全く知らず、ただ単にショッキングな歌詞の曲として面白がって「消費」してしまったのです。

仕事がますます忙しくなる一方で、急速に変化するファン層。 そして、聴衆の数が10人単位から100人単位になったかと思うと1000人単位まで一気に膨れ上るという成功を収めながらも、「Untouchable Face」を歌うと無神経に一緒になって「fuck you」と叫ぶファンたち。  その中で彼女がたどり着いた結論が、政治的な主張を持ちつつ、個人的な幸せを追及しても良いという納得感であり、自分の政治的な意見を認めてもらうためにフェミニストの偶像にならなくても、自分に出来る範囲で出来る事をすればいいという境地です。

DiFrancoの最新アルバム「Little Plastic Castle」(1998)はこのようにある意味自分本位な感覚に立って、「フェミニストはこうあるべき」といった押し付けを皮肉っています。

People talk about my image
Like I come in two dimentions
Like lipstick is a sign of my declining mind
Like what I happen to be wearing
The day that someone takes a picture
Is my new statement for all of womankind...
I wish they could see us now
in leather bras and rubber shorts
Like some ridiculous new team uniform for some ridiculous sport
Quick, someone call the girl police and file a report
     ("Little Plastic Castle" 1998)

Naomi Wolfの「The Beauty Myth」以来、化粧をするのは抑圧に屈する事であり、フェミニストとしてふさわしくないといった論理がフェミニズムの一部で言われましたが、「Little Plastic Castle」でのDiFrancoは自分の服装や化粧が一々何らかの意味を持つという深読みを笑い飛ばしながら、フェミニストらしからぬ服装をしているから誰か「girl police」を呼ばなければ、と歌っています。 ここでいう「girl police」は、「フェミニストはこうあるべき」といった考えを持った一部のフェミニストの事でしょう。

このような歌詞を聞いて、古くからのファンの一部はDiFrancoが政治性を失ってしまったのかと考えているようですが、これは誤解です。 今でも彼女はさまざまチャリティ・コンサートに参加しています。 最近彼女が関わった物では、死刑反対の集会、同性愛者の権利を求める集会、女性の囚人(特に夫による虐待に耐え兼ねて夫を殺したり大怪我させて収監された人たち)のための集会、ホームレスのための集会、そしてもちろん妊娠中絶の権利を守るための集会などがありますが、彼女がこれらの政治的主張を変えたという事はありません。 変わったのは、政治的な目的のために、また他の女性のお手本となるために自分を押し殺してまでフェミニストの偶像となる事を明快に拒否した事だけです。そして、これが彼女が意識しているかどうかに関わらず同世代の他の第3次フェミニストとの共通点なのです。

彼女は今年、「Dilate」以来付き合っている男性とついに結婚しました。 かつてDiFrancoを女神のように崇めたてたレズビアン系雑誌に「DiFrancoは女性を裏切った」かのように書かれたり(彼女は昔からずっとバイセクシュアルだったんですけど)、結婚を機会に古くからのファンの一部が彼女を離れたりといった事も起きていますが、彼女は最近になってついにフェミニズムという外部の価値観だけに頼らず、自分自身の価値観に心から自信を持てるようになったと思えます。それはもちろんフェミニズムを捨て去る事ではなく、自分の一部としてフェミニズムを持ちつつもそれに全てを預ようとはしない立場なのです。

最後に彼女が最近のコンサートで歌っている新しい曲で、次のアルバムに入るならまた議論を巻き起こしそうな「Angry Anymore」という曲を紹介しておきます。 今の彼女の心境を一番よく表わしているのはこの曲だと思います。

Growing up it was just me and my mom against the world
and all my sympathies were with her when I was a little girl
As each year goes by I wonder how my father must have felt
I just want you to understand
that I know what all the fighting was for
And I just want you to understand that I'm not angry anymore
No I'm not angry anymore
...
Life calls we generate our own light
to compensate for the lack of light from above
Every time we try and a cold wind blows our way
we can learn like the trees how to bend how to sway
And say I just think I understand
that I know what all the fighting was for
And I just want you to understand I'm not angry anymore
No I'm not angry anymore
     ("Angry Anymore" 1998)

Solo


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